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2012年 02月 13日
通勤時にスマホで遊ぶのも飽きてしまい、読書派に戻ってしまいました。まったく、オジサンは…。携帯するのに便利なので新書派です。最低週1冊は買い求めます。 最近、新書コーナーで平積みになっているのが「星海社新書」のシリーズです。 講談社新書の若者向け版とでも呼べそうなものですが、タイトルのネーミングとシリーズコンセプトがおもしろいので、ついつい買ってしまいます。 今日取上げるのは、そのなかの1冊「資本主義卒業試験」です。 これはマンガ+小説という珍しい体裁、漫画家山田怜司の著です。 試し読みはこちら。 http://ji-sedai.jp/works/book/publication/sotsugyoshiken/01/01.html 自分の経験と多くの人とのインタビューで得た知識をベースにした「ファンタジー小説」とでも形容しておきます。 日本人が表面上は豊かでありながらも、息苦しいのははどうしてだろう?と考えると、その源は資本主義の矛盾であった。 その息苦しさを逃れるためには、資本主義卒業試験をパスすることが必須である。 その答えは…、ということが書かれている読みモノです。 経済学を学んだ人間でも、答えるには難しい話を、マンガとファンタジー仕立てのストーリーで飽きさせず読ませます。 今まで資本主義とはなんぞや?とか、現代資本主義の問題点とか、を考えたこともない若者には刺激的で新鮮でしょう。 自分の境遇と経済状況を、大きな制度とリンクして考えさせるキッカケにはなるでしょう。 と褒めておきながら、ケチをつけるのもなんなんですけど、 この卒業試験の答えには、「はーっ、sigh, sigh,ナイーブなのね…。」というのが感想です。 この物足りなさをどう表現しようかと考えていたら、amazonの書評でうまい例えがありました。 結婚に失敗した人間が、原因は婚姻制度だ、と言っているようなものだ、とありました。 節税のために法人を設立したら立ち行かなくなり、個人的にも苦しくなった、その原因は節税対策が下手なのではなく資本主義のせいだ、といっているようなもの、ということです。 ま、でも自分の失敗をきっかけにして、失敗の背後にある経済制度に目を向けたというアプローチの仕方は、経済学者ではできないものですし、とびきり分かりやすい書でもあります。小さな声でおすすめです。 たまには、こういう大きな制度について考えてみるのも悪くはありませんしね。 イギリスの元首相チャーチルの言葉の中に 「民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば。」 という言葉があります。 私は、この言葉をもじって、 「資本主義は最悪の経済形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる経済制度を除けば。」 と言い換えます。 確かに、昨今の経済状況を見るなら、資本主義の限界が露呈し、矛盾が噴き出していることは否定できません。 しかし、社会主義の崩壊を見れば、資本主義に代わるべき経済制度はあるのか?と思います。 封建時代の重商主義や重農主義、あるいは幻想としか言いようがない原始共産制では解決にならないのは論を待ちません。 この書がナイーブとしか言いようがないのが、資本主義の解決策は幻想でしかないユートピア(=原始共産制)に解を求めているからです。 私が考えるに、資本主義の特質を短く言うのなら、「成長への信仰、欲望の肯定、競争を賛美」となります。 長くなりました。続きは次回に。 ![]() 詳細はコチラ! 2012年 02月 10日
先回のブログで船舶、クルーザーのパブリシティー権について触れました。この「パブリシティー権」という言葉、一般にはなじみのないものです。 先週、このパブリシティー権が新聞、テレビなどのマスコミで大きく取り上げられました。 ご存知の方も多いでしょう。歌手ピンク・レディーの2人が、雑誌記事で写真を無断で使用され「パブリシティー権」を侵害されたとして、出版社に損害賠償を求めた訴訟の判決が最高裁でありました。 ここで画期的だったのは、最高裁でパブリシティー権が法的権利であることを初めて明確に認めたことです。 少し解説します。 パブリシティー権とは一般的に、著名人が氏名や肖像を無断で使われない権利、と理解されています。 今までは地裁などで一定の範囲で認められたことがあるというものの、法的に位置付けられたものではありませんでした。 今回、最高裁の小法廷はパブリシティー権を「(著名人などの)商業的価値に基づく人格権のひとつで、顧客吸引力を排他的に利用する権利」と初めて定義されました。 つまり、一般的に思われているとおり、著名人が氏名や肖像を無断で使われない権利、ということです。 われわれストックフォト業者にとっては、このパブリシティー権が著名人でない被写体、例えばクルーザーであったり競走馬であったり、にも及ぶのかということにも関心を持つ必要があります。 先回のブログでクルーザーにパブリシティー権が認められない、と書いたのは以前に判例があったからです。 ギャロップレーサー号事件というのがありまして、そこでクルーザーにはパブリシティー権がないとされたのです。 この(著名人などの)部分を拡大解釈して、著名であれば建物、船舶、競走馬などにもパブリシティー権があると主張する人が出てきます。 この主張がどう判断されるのかを覚えておく必要がありますね。 写真は写すのは簡単でも、この被写体の権利までを考えるとけっこう面倒なもの、だと思う好例です。 さて判決では、パブリシティー権を法の権利として認めたものの「顧客吸引力目当てに写真を使ったとはいえない」として請求を棄却しました。 正当な表現行為に使うのは侵害に当たらないとして、記事について「ピンク・レディーの顧客吸引力の利用が目的ではなかった」と判断されました。 (以上、日本経済新聞(夕刊) 2012年2月1日より引用) われわれが気を付けなければならないのは、写真に著名人や(などの)に該当される可能性がある建物、キャラクターが写っていないか、写っていたとすれば使用の方法が、その著名人の顧客吸引力を利用しているものか、ということです。 ホント、写真に関わる権利関係って難しいんですよ。 皆さんもこの記事を読みなおして、理解しておくことをお勧めします。 ![]() 詳細はコチラ! 2012年 02月 06日
今週9日(木)から11日(土)まで、カメラと写真映像の発信イベント<シーピープラス>が「伝える、つながる、写真の力」をテーマにパシフィコ横浜で開催されます。http://www.cpplus.jp/ 私も足を運ぶ予定です。 さて、会場となるパシフィコ横浜のあるMM21地区も含めて横浜は絵になる街です。 ストックフォトの題材としても、港の風景は欠かせません。 ところで、港を撮影しストックフォトとして販売すると、面倒なことが起こることがあります。 係留されていたり、巡航しているクルーザー、船舶から連絡をいただくことです。 どんな経緯で撮影したのか?撮影を許可した覚えはない、迷惑しているから取り下げろ、などとの要求をいただきます。 船内で撮影されたものでなく、一般に公開された地から風景のなかの一部として写っていたものでもクレームは入ります。 このクレームは正当なものでしょうか? 公道、公開された地から、海に浮かぶ船舶の外観を撮影しても、何らの権利を侵害していることはないはずですが…。 では、彼らのクレームになんらかの根拠が考えられるのでしょうか? 船舶、クルーザーに人間と同じような肖像権あるいはパブリシティー権が発生するとは考えられません。 同様に船舶、クルーザーが著作物と認められることもないでしょう。 万々が一、著作物だと認められても屋外に恒久的に設置してあるのであれば、撮影しても問題はないはずです。 ということで、外観を撮影することが法的に認められる権利を侵害していることはない、と考えられます。 それなのに、なぜクレームをつけてくるのでしょうか? ここからは推測ですが、景観も所有権の一部だと勘違いしていることが考えられます。 「俺が管理している船を勝手に撮影して、商用に利用している。」という発言は、所有している船を撮影するには所有権を有しているところに許可を取るのが当然だ、という認識が隠れています。 もちろん、この考えは誤りなのですが、船舶に限らず建築物でも管理している側はこのように思っている人は多いようです。 そして、俺の管理する船を撮影して商売するとはどういうことだ、と考えてクレームに至るわけです。 撮影された写真が旅行パンフレットにでも使用されれば、観光振興に役立ちます。 魅力的だと思われて被写体にされるのですから、もう少し鷹揚になってくれないものかと思います。 ![]() 詳細はコチラ! 2012年 02月 03日
寒い日が続きます。東京の今年の1月は最高気温10℃以上の日が5日しかなかったようです。これは観測史上2番目の少なさだそうです。どうりで雪も溶けないはずです。 といっても今日は節分、明日は立春。春の足音はかすかですが聞こえてきそうです。 ところで、今年は辰年、ドラゴンイヤー。 それとは関係なく、名古屋生まれのせいで、私は中日ドラゴンズのファンです。 ドラゴンズといえば、昨年は2年連続のリーグ優勝を成し遂げ、惜しくも熱闘の末日本一を逃したことは記憶に新しいですね。 それにもまして、話題になったのは、これほどの成績をあげながらも監督が交代したことです。 その連続優勝の立役者、落合博満前監督の著書「采配」がベストセラーになっています。 電車に貼られている広告ステッカーでは、すでに33万部売れているそうです。 となると彼の懐に入る印税は現在でも5000万円か…、という下衆の勘繰りは置いといて出版社からの紹介はこちら。http://www.diamond.co.jp/book/9784478016268.html ダイヤモンド社から刊行されていることから分かるように、野球ファン向けというよりもビジネスマン向けの内容となっています。 一読して分かることは、落合博満という人は、極めて合理的に物事を考える人である、ということです。 私たちの世代は「巨人の星」に熱狂したように、努力、根性、友情の暑苦しい価値をスポーツの世界に見出します。 それゆえにクールと評される落合前監督は、オールドファンからは受けが悪く、成績がよくても人気がないのが解任の理由と噂されました。 私は表情を出さずに、ディフェンスに強い地味な野球から、いかに勝利にこだわるかという勝負師のあるべき姿を教えてもらった気がします。 デフレ下で成長が期待できないビジネス環境の下、難しい舵取りをしなければならない経営者に有益な示唆を、彼は采配を通して与えてくれました。 彼にとって野球とは仕事であり、野球がチームスポーツであるから目指すべきはチームの勝利であり、ファンが望むのも勝利である、という明快な哲学があります。 野球選手は個人事業主であり、競争によって雇用の継続が決まる厳しい環境にあることの自覚を即しています。 その与えられる厳しい条件のなかで、自分の価値を高めるためには、ハードな練習が必要であると述べます。 根性で頑張れというような精神論は言いません。 選手がプロ野球選手として、いかに商品価値をあげてゆくかを教えてくれる書でもあると、私は感じました。 実績に裏打ちされているだけに、書いてある文章に説得力があります。 フリーランスのお仕事をされている方には特に勉強になります。私のブログに興味を持たれた方は是非、ご一読を。 それにしても文章がうまいです。 最終章の最後の一節に、「だが、自分の人生を采配できるのは、ほかならぬ自分だけであり、そこに第三者が介入する余地はない。ならば、一度きりの人生に悔いのない采配を振るべきではないか。」とあります。 涙が出るくらいにカッコよくて、おおきくうなずいてしまいました。 ありがとう! ![]() 詳細はコチラ 2012年 01月 30日
写真を扱うことを商売にしていながら、つくづく写真とは不思議な存在だと思います。スマホやケータイでシャッターを押しさせすれば、写真は簡単に撮影できます。 撮影した人は、なにも手続きすることなく著作者としての権利(著作権)を得ることになります。 それは、著作権の発生には登録などを必要としない無方式主義を原則としているからです。 この無方式主義が、他の知的財産、例えば特許、商標と違うところですが、今回はこの件には触れません。 なんで、こんなパシャっと押しさえすれば出来上がる写真が、著作物として保護されるのでしょうか? 不思議だと思いませんか? もともと写真は機械に依存するところが多いため、他の著作物とは異なるとされて扱いも違っていました。 「しかし、写真は、その製作に当たって主題の決定、被写体、構図、カメラアングル、光量、シャッターチャンスの選択や調整、また時には、原版の修正その他撮影、現像、焼付のプロセスにおいて独創的な工夫を必要とするものであることから、著作権法はこれを著作物として例示し保護するのである。」(〜著作権の解説 新訂版 一橋出版〜より引用)とあります。 だから、身分証明、運転免許、パスポートに使われる写真は著作物とはされませんし、業界用語で複写と呼ばれる、イラストや絵画などを平面的に撮影したものも著作物とは認められません。 ところが、ケータイ、スマホでパシャっと撮影したものは著作物として扱われます。 ケータイ、スマホで撮影された写真のほとんどは、上記のような独創的な工夫は見られないと思いますが…。 写真を製作するのに、シャッターを押すだけの操作で事足り、なんらの技術も必要ではありません。 では、なぜパシャっと押しただけの写真でも著作物とされるのか? 「実際問題として、写真の外観から製作のプロセスにおける独創性を具体的に判定することは困難を極めるところとなっている。」(〜著作権の解説 新訂版 一橋出版〜より引用)とあります。 つまり、創意工夫を凝らしたのか、偶然だったのかは見ただけで分からないので、分からないことは創意工夫を凝らしたことにしておこうというわけです。 こんな簡単にできあがる写真でも、著作者の権利として著作者人格権、著作(財産)権を得ることになります。 この著作者の権利は細かく公表権、氏名表示権、同一性保持権、複製権、貸与権、公衆送信権などがあります。聞いたことあります? このことも今日の主題ではないので触れません。 日本人はケータイ、スマホまで入れれば、大半の人がカメラを所有していことになります。 毎日、莫大な量の著作物が生み出され、なんの手続きもなく著作権が発生しています。 撮影された写真はネット、SNSを利用して簡単に公開することができるようになりました。 ところが、大半の人々は自分が撮影した写真にも著作権が発生し、このなかの権利のひとつを行使してSNSで公開しているなどとは意識しません。 自分に与えられる権利がどのようなものであるかも分からず、無自覚なまま写真を楽しみます。 自分の権利を知らないだけでなく、写される対象、被写体の権利も知らなくても簡単に製作されてしまいます。 撮影することによって得る権利(著作権)も知らないし、写される側(被写体)の権利のことも知らなくても、カメラを操作することは 簡単なことであるし、使うことに対してなんの制限もありません。 これって不思議なことだと思いませんか? 自動車を運転するのには免許を持っていなくちゃならないし、道路を走るには交通法規を守ることを義務付けられています。 事故を起こしたり、違反をすれば法によって罰せられます。 それに比べてカメラを使うのに何の免許も要らないし、自分の権利も知らなくても、他人の権利を知らなくても、撮影することに制限がありません。 しかし、勝手に複製されるなどの権利侵害は起こるし、勝手に撮影されたなどと被写体からクレームがつくことも、よくある話です。 撮影するという行為は、行為自体は簡単であっても、いろいろな権利関係が絡むことになります。 それであれば、免許とまでは行かなくても、撮影者として与えられる自分の権利と被写体の権利についての講習を受けるくらいのことは必要と考えてしまいます。 このように考えるのは私だけでしょうか。つくづく写真とは不思議な存在だと思います。 ![]() 詳細はコチラ
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