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2012年 05月 07日
このビジネスを始めた頃、今から17,8年前のことです。当時はストックフォトといえばレンタルポジの時代でした。 マルチメディアビジネスを標榜していた我々は、フォトエージェンシーとは違う写真ビジネスを模索しました。 そのときにワンソース・マルチユースという言葉に感化されて、写真を預かるのではなく買い取ることを始めました。 初期投資が大きくなったとしても、コンテンツを権利ごと買ってしまったほうが、後々有利になるだろう。 一度買えば、何度でもおいしいビジネスを目指す、このような判断でした。 最初の頃は1カットを2諭吉(当時は聖徳太子でした)で買わせていただきたいとお願いしても、相手にしてもらえませんでした。 レンタルポジに預けておけば、1回貸し出しがされれば2諭吉(聖徳太子)くらいは入ってくる。 なんで、権利ごと取られて1回分の貸し出しと同じ金額で売らなければならないのか?と言われて反論できませんでした。 後に回転率とかヒット率という言葉を知るとともに、預けたポジが売れる割合は5%から10%くらいで、全部の写真が貸しだされるわけではないことを知りましたが、後の祭りです。結構なお支払いをさせていただきました。 当時はプロの撮った写真は相当な価値があり、投資した以上のリターンが得られると売る側も買う側も考えていたのでした。 実際に高く買っても、それ以上の利益をもたらしてくれましたので、問題はありませんでした。 話は現在に飛びます。 懇意にしているカメラマンから、撮りためた写真を購入してもらえないか、との打診がありました。 聞けば、喫緊でお金が必要になったので格安で提供する、との事。 格安とは、17年前の提示価格の5分の1程度です。 少し前であれば、確かに格安で、彼の言葉に誤りはありません。 しかし、現在1枚の写真がどれほどの価値を生むのかと計算してみると、格安でも採算に合わないことが分かります。 結局、更に購入価格は下がることになりました。 彼にしてみれば、人の足元を見て買いたたかれたと思うでしょうが、購入する側からすれば妥当な金額で、安い買い物をしたとは思えません。 どうして、このようなことになるのでしょう? ポジからデータに変わったといっても、同じ人間がプロの技術を駆使して撮影した写真です。 20年来のデフレといっても物価が5分の1になったわけではありません。 それなのに、ストックフォトで利用される写真の価値は5分の1以下に落ちてしまいました。 不況による需要不足に、デジタル化と技術革新による供給過剰が加わり、価格下落のスパイラルが起こり相場が崩れる。 このようなことを私はこのブログでなんども書いてきました。 これに誤りはないと思いますが、写真の価値がここまで落ちる理由は、これだけでは説明できない気がします。 某フォトエージェンシーが販売事業を停止したときのあいさつ文に印象深い一文がありました。 プロの仕事が尊ばれなくなった…。この言葉が写真の価値が落ちた原因を表しているように思います。 ハイエンドからグッドイナフという事を、このブログで何度も書きましたが、写真を選ぶ基準がクオリティーよりも価格に移ったということです。品質はそこそこであれば十分という価値観、これも原因のひとつのような気がします。 また考えることにして続きは次回に。 ![]() 詳細はコチラ! 2012年 05月 02日
ゴールデンウィークの谷間、与太話にお付き合いください。20歳ほど離れた従兄が先月亡くなりました。 彼のことを私は“マーちゃん”と呼んでいました。 従兄といっても20歳離れていると、一緒に遊んだという思い出はなく、どちらかというと叔父のような存在でした。 亡くなったことを知ったのは、家に届いた廃業のお知らせのハガキです。 マーちゃんは半世紀に渡り、牛乳運搬業を経営していたのですが、彼の死とともに廃業となったのでした。 思い出話しをひとつ。 私が、まだ大学生だった頃、つまり30年以上も昔のことです。 毎年、正月になると顔を合わせるのですが、私の顔を見るなり「ヒロくん(私のことです)、赤旗ふっとってはいかんよー。」というのです。 たしかに、私は民主青年同盟の諸君が幅を利かす学校で学んでいましたが、当時の言葉で言えばノンポリの青年でした。 マーちゃんが、このようなことを言うには理由があります。 彼は大臣まで勤めた地元の国会議員を一生懸命に応援していました。 選挙となれば、仕事をほっぽり出して駆けつけ、集票マシーンとして働いていたのでした。 当時は反動自民党などということばが、私の周りでは飛び交う時代でした。 ノンポリでも多少は感化されていた私は、このマーちゃんの行動について批判的なことを口にして言い合いになりました。 何のために応援するのだと聞くと、運送業にはつきものの交通事故が起こったときに穏便にすますための口利きをしてもらうため、と答えました。 マルクスの資本論を勉強している時期でしたから、政治家の力を商売に使うことは汚いことだと決めつけて批判したのです。 マーちゃんの反論はこんな具合でした。 「ヒロくん。それは違う。俺は先生のために一生懸命働く。先生が恩に感じたら、俺にお返しをするのは当たり前だ。」 つまりギブ・アンド・テークの関係だがら、何ら恥じることはない、というのが彼の言い分でした。 従業員数名の有限会社を潰さないようにすることが、どんなに大変かは、学生に理解できるはずもありません。 青臭い理屈と生き残るための処世術ではかみ合う訳もなく、平行線をたどってお終い、となるのでした。 世の中きれいごとだけではなんともならない、などということは世に出て痛い目に遭わないと分かりません。 手法の是非はともかく、マーちゃんは会社のために頑張っていたことを、今の私なら理解できます。 15年ほど前に実家で会ったのが最後になりました。 天国から「ヒロ君、赤旗は降らんかったなあ。俺の言うことが分かっただろ。」とでも言ってる気がします。 ![]() 詳細はコチラ! 2012年 05月 01日
ゴールデンウィークも中盤に差し掛かりました。9連休、おうちでまったりしながら読んでいただいている方も多いのでしょう。 東京スカイツリー開業を控えて、下町には多くの観光客が訪れています。 東京はスカイツリーだけでなくゲートブリッジ、渋谷ヒカリエ、東京駅の改装など次々と魅力的な建物、建造物ができあがり、活気に溢れています。 20年の長きに渡った停滞を抜け出して、また成長するぞ!とアピールしているような感じがしませんか? 東京スカイツリーの完成を契機として、タワーブームとでも呼べるものが起こっているようです。 観光客はタワーを背景に記念写真撮影に勤しみ、アマチュアカメラマンはいかに魅力ある写真を撮るかに苦心します。 さて、我々ストックフォト業者が東京スカイツリーなどの高層建造物を撮影するときに気を付けることはなんでしょう。 第三者の権利を侵害しないことも、そのひとつです。 こうした高層建造物を敷地外の公道、公開の場所から風景の一部として撮影された写真の撮影、利用については、なんら問題はないと認識されています。 ところが、写真そのものに権利侵害がなくても、使われ方によっては問題になることがあります。 いえ、ありますというよりストックフォトの利用で起こるトラブルは、この使われ方によって発生する場合が多いといえます。 どんな場合があるのか?参考にために著名な高層建造物某所のホームページをのぞいてみました。 ライセンスについて、というページに自分たちが定める“プロパティ”を利用する場合の記述があります。 ”プロパティ”とは? ストックフォト業界用語でプロパティリリースという用語は使いますが、一般的にはプロパティとは財産という意味です。 彼らは“プロパティ”として、「名称、ロゴマーク、外観的形象(形状、色彩、照明)<写真・デザイン含む>」をあげています。 彼らの“プロパティ”を利用するには、申請の必要があり、提示された使用料を支払う必要があると書かれています。 外観的形象を撮影した写真を広告宣伝で利用するときや、商品を作成するときは、ここからの許諾が必要、との記述ですが、はて? 写真の利用を許諾するのは著作者です。 しかし利用のしかたによっては被写体に許諾が必要である。 その根拠は、写真の利用とそれに付随する行為が彼らの定める“プロパティ”を利用するから、というのです。 この“プロパティ”、法的に認められるものなのでしょうか。 一般的にいわれる“知的財産”なのですが、法で定められる著作権、特許権、商標権とは異なるものと読めます。 少なくとも判例で、この言葉“プロパティ”が使われたとは聞いたことがない、と顧問弁護士から聞きました。 法的に認められた権利ではないようですが、既存の知財に含まれる権利の一部を取上げて名称をつけたもの、と私には思えます。 名称は商標の一部だという具合です。 使用によっては、出所を混同せしめることがあるから、名称を使用することは商標違反になる可能性があるという解釈なのかな? なんとも歯切れの悪い書き方で申し訳ありません。 安全に利用するためには、先方の求めに応じることがベターになります。 申請して審査を受け、お支払いすれば、後からクレームが来ることもないでしょう。 しかし、この行為は法的に根拠があいまいな権利を認めたことになり、被写体の既得権化につながるという側面も否定できません。 被写体からすれば、外観的形象を維持、管理するのはお金も手間もかかる、それを利用するのであれば許諾を与える権利が被写体にある、という理屈なのでしょう。 一理あるとも思いますが、私にはよく分かりません。 なぜなら、全国の高層建築物すべてが、このような権利を主張しているわけではなく、一部の建物に限られているからです。 被写体の権利について、きちんと考える必要があるのかもしれません、というのが今日の結論です。 ![]() 詳細はコチラ! 2012年 04月 27日
![]() ちょっと風変わりなサイトを立ち上げました。 MIXA cocolo(マイザココロ)と名付けました。こちらです。 http://mixa-cocolo.com/index.html 写真を扱って生計を立てているので、なんとか写真に恩返しができないかと考えていました。 しかし写真に恩返しといっても、なにをすれば良いのか、さっぱり見当がつきません。 そんなある日、お付き合いのある人からさる方を紹介いただきました。 さる方はクリエイターという表現がピッタリの、ぶっとんだ発想をする人です。 女子高生がヘッドフォンを付けて踊る姿を撮影した写真で、有名なフォトグラファー“でも”あります。 “でも”と書いたのは、このぶっとんだ方は写真だけでなく、小説も書けば、音楽も手掛ける、CMも作るイベントも仕掛ける、大学の講師もするという、自分がおもしろいと思うことはなんでもやる人だったのです。 そのぶっとんだ人は私に向かって言いました。 ゆるーくつながる時代になってきました。やっぱり時代はSNSですわ。 もう東京だけに才能が集まる時代ではなくなりました。 地方の子たちがおもろいことを考えて、独自に写真の撮影を楽しんでます。 そういう子たちに表現の場を提供することは、おもろいんとちゃいますか? ストックフォトのマイザさんがそういう場を作ってあげるのは、写真への恩返しになりませんか? まあ、いうたらコミケ(コミックマーケット)みたいなもんですわ。 読者と表現者がいっしょになって盛り上げる写真の投稿サイトちゅうアイデアは。 コミケはリアルやけど、それをサイト上で展開するちゅうわけやね。 ほー、そのアイデアおもしろい!乗った、といつものように即断即決でゴーサインを出してしまいました。 正直なところ、アラハンオヤジの私に彼の意図が正確にわかったかは甚だ疑問ですが。 この町にいること。あの町にむかうこと。 町の詩人さんがココロする「画像とツイート」、今週はこんなん集まりました。 地元が大好きな人も、外に出かける人も写真とつぶやきで、今の気持ちを表してもらいたいの意味を込めたキャッチです。 Twitterで、今のココロを写真とことばで発していく。 「表現する」なんて堅苦しくなく、何かで動いたココロの一片を集めたサイトです。 全国に住む老若男女が世代を超えて、寄ってたかって『生きてくヒントちょうだいよ&あげるよ』を繰り返すサイトができればと思います。 このフレーズが心意気宣言ですね。 ご覧頂くとお分かりいただけますがストックフォトとはまったく関連のない写真ばかりが並んでいます。 広告宣伝に使えるような写真ではありません。 へーっでも、ほーでも、クスッでもいいです。感動などとおおげさなものではなく、ココロがほんの少し動くような写真を集めて楽しんでもらえるようなサイト、そんなふうになってくれればうれしいですね。 今のところβ版で、ゆっくりスタートしました。 エー、読者の皆さま、ご自分で撮影した写真をアップしていただけませんか?このmixa cocoloに。つぶやきを一緒に。 まだまだ、mixa cocolo(ココロ)を見てくださっている人も、投稿してくださる人も圧倒的に不足しています。 孵化したてのこのサイトを、いっしょに育てていただける方を募集いたします。 ![]() 詳細はコチラ! 2012年 04月 23日
私の大学時代の先輩の花見の時のお姿です。なかなかいかつい顔が魅力的なので、どーんとご紹介です。 フィルムカメラをぶら下げて、なんとも昭和なオヤジが仁王立ち。 満開の桜を背に後光が差す。立命健児ここにあり。 と、キャッチを勝手に作ってしまいました。 それで、今日はこのオヤジの毒舌説法です。 ワシは怒っとるんや。 今日は4月8日花祭や、お釈迦さんの誕生日や。 そやのに誰もそんなこと構わず、花見で飲み食いしとるだけや。ま、ワシもやけど。 先輩のお坊様は忙しいゆうて、この花見は欠席や。怒るで、しかし。 日本人はキリストの誕生日はバカ騒ぎしくさるくせして花祭りは無視かい。どないなってんねん。 仏教徒がほとんどやろ、日本人は。ワシかてそうや。 ワシは敬虔な曹洞宗徒や。先輩のお寺は臨済宗やけどな。 あんたら、自分を無宗教と思てたらアカンで。ちゃんと仏教徒やいうことを自覚せにゃ。 ところでお前!撮影しとるお前のことや。 お前は浄土真宗門徒らしいやないか。 それで今、一生懸命親鸞聖人のことを勉強しとると聞いた。感心なこっちゃ。 なんでも宗教学者の島田裕己の「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」幻冬舎新書と「ほんとうの親鸞」講談社現代新書を読んで勉強して、五木寛之の「親鸞」を読んどる最中らしいな。 なんで、その年になって急にそんなこと思い立ったんや?やっぱり50も超えるとお迎えのこと考えるんか? なんやて?今まで自分が浄土真宗と意識したことがなかった。通りいっぺんの真宗と親鸞聖人の知識はあったがその程度だった。 少なくとも開祖がどんな方でどのような生涯を送られたか知りたくなった。…やて? なんでも興味持って、勉強しよるなあ、お前は。 ところで、なんでワシは曹洞宗でお前は浄土真宗なんやろうな。 自分で選んだわけやない。生まれた家がたまたまその宗派やったからやろ。 これって不思議に思わんか?民主主義の国で生まれて、ほとんどのことは自分で選択することがでけるのに親父と同じ宗派に頼みもしないのに勝手に入っておる。 信教の自由は選択の自由とは違うんかい!って、やっぱりワシも戦後民主主義の子やなあ…。 というたところで、選択の自由があったところで、選ぶには知識がいるけどな。 キリスト教とはどんな宗教か、仏教とはどんな宗教かということから先ず分からんと。 それから自分の属している宗派が分かって、他の宗派が分からんことには選ぶこともできひんわな。 うん?そう思たから勉強しとるやて? 調子のエエ奴やなお前、要領だけエエ奴やから、何か銭儲けのネタ探しとるんかと思っとったわ。 ま、リタイアしたら神主か坊主になろかって言うとったから、多少は信心いうもんが芽生えとるかもしれんの。 けど、ワシはさっぱり信心いうもんはありまへん。あんたに任すわ。 なに?敬虔な曹洞宗徒って言うた?さっきの話しはさっきまでのことやないか。 ※写真の使用、本文の内容など被写体から許諾をいただき掲載しています。 ![]() 詳細はコチラ!
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