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2011年 05月 06日
新美南吉という童話作家をご存知でしょうか。
彼の代表作「ごん狐」は小学校国語の教科書にも採用されていますので、読んだことがある方も多いことと思います。 貧しい村人・兵十といたずら好きの狐・ごんとの触れ合いと行き違いが民話風に描かれる悲しいお話です。 この名作はこちら。青空文庫でお読みください。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/card628.html ちなみに新美南吉は昭和18年に亡くなっていますので、この作品はパブリックドメインになっています。 先週の土曜日、小学校教員をしている友人がドライブがてらに、新美南吉記念館に連れて行ってくれました。 「ごん狐」の舞台となる愛知県の知多半島にある半田市の丘陵地、山中に半地下式のコンクリート打ちっぱなしの瀟洒な建物です。中部国際空港を利用されることがあれば、立ち寄るのも良いでしょう。 友人が興味深いエピソードを教えてくれました。 少し前まで、この「ごん狐」を教材に10時間を超える国語の授業を行っていたそうです。 読んでいただければ分かる通り、大人なら10分もかからないほどの短編です。 この作品を教材にして10数時間かけて何をしていたのでしょうか。 場面ごとに分けて、分析させていたというのです。この場面のときには主人公のごんと兵十の何を思っていたのかどう考えていたのかの比較表作りをさせていたそうです。 そして、作者はこの作品を通して何を伝えたかったのでしょう、という課題を出されたそうです。 友人、嘆いて曰く「こんなことを10数時間もかけて分析させるから子供は国語が嫌いになるんだ。作品を読んでどこがおもしろいか、どう思うかは子供の感性如何なのに、教育委員会が読み方まで押しつける。」 まじめで熱心なおばちゃん先生ほど良かれと善意で、解釈を強制させていたそうです。これはおばちゃんへの偏見かな? この作品の最後、クライマックスシーンはこうです。 …「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。 質問。ここで、ごんはどのような気持ちだったんでしょう。という愚問を生徒に問うのが友人には苦痛だったそうです。 作品は素材です。どのように感じようが、どのように解釈しようが、それは読者のいわば勝手です。 読み手が100人いれば100通りの解釈があり、正解はありません。その解釈の違いこそが個性だと思います。 ゆとり教育と呼ばれ個性を伸ばすことを目標としながら、こんなつまらないことをしていたのかとがっかりです。 新美南吉が「ごん狐」を書いたのは17,18歳だと伝えます。何を伝えたかったよりも、創作意欲があったのでしょう。 表現ひとつひとつに意味、意義を探すほど作品をつまらなくするものはありません。 読んで感じたことを、思ったことを大切にすることが大切だと友人は言うのです。激しく同意です。 私は、優れた童話に多い、不条理な(因果応報ではない)悲劇として読みました。 ところで、彼のもうひとつの代表作「おじいさんのランプ」という童話を読むと驚きます。 4月22日にアップしたブログ「ストックフォトエピソード 下駄屋と練炭屋」と同じことがモチーフになっています。 自分の行っているビジネスが時代遅れになったときにどう対処するかを教えてくれます。 同じく青空文庫で読むことができます。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/635_14853.html 詳細はコチラ!
by mixa_suwa
| 2011-05-06 10:00
| 神楽坂日記
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