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2011年 05月 09日
東北地方太平洋沖地震発生からほぼ2月経ちました。
ここ東京では余震はずいぶん少なくなりましたが、福島原発は収束の見込みが立たずに、いつまた電力不足に陥るのかと安心できない状態が続いています。 慣れてきたとは云え、照明の落とされた駅の構内を行く時や、節電のために止められたエスカレーターを見ると普段の生活には戻っていないのだと感じます。 商店でもオフィスでもエントランスの灯りを消されているとウキウキする気分にはなりません。 自粛気分は薄れつつあっても、この暗い雰囲気では消費する気分からは遠いというのが正解でしょう。 3月11日以降、首都圏に住むわれわれもずいぶんと考え方が変わってしまいました。 「こんなことは初めてだ。」と思うことが次々に起こりました。 大地震が発生したなら、徒歩で帰宅せざるをえない状況になることは情報としては知っていました。 しかし、本当に歩いて自宅まで帰る日が来るなどとは当日まで考えもしませんでした。 地震発生の翌日からの1週間は、とんでもない混雑の電車で普段の倍以上かかって通勤することになりました。 その後に起こった、スーパー、コンビニの棚から商品がなくなる光景、この豊かな時代に目にするとは思いませんでした。 ガソリンを入れるために何百mの渋滞が発生し、ガソリンスタンドの大半が昼間に閉められているとは…。 よく分かったことは、私たちの生活はけっして安定しているのではなく、極めて危ういバランスの上に乗っかっているということです。 電車は動いて当たり前、電気は付いて当たり前、品物はあふれているのが当たり前、意識しなくとも社会インフラは整っているものと思っていました。 当たり前だと思っていることは当たり前ではない、このことに気付いた人は多いでしょう。 そして、いかに現代のわれわれの生活は電気に依存しているかということもよーく分かりました。 停電、節電によって、これほどまでに混乱するということが身にしみて理解できました。 今回事故を起こした福島原発に7年ほど前に社会見学に行ったことがあります。 その時に聞いた話は、事故の起こる確率は100万分の1ということと、原発の外壁は2mのコンクリートでできていて旅客機が飛び込んでも壊れない(まだ9.11テロの記憶がなまなましい時期でした)ということでした。 100万分の1とは、ほぼ可能性としては0だと認識しました。しかし、100万分の1の確率であろうが、起こるときには起こります。 2mの外壁だって、旅客機が外からぶち当たっても壊れなくても水素が充満して爆発すれば壊れてしまいます。 思いもよらないことも、起こる時は起こります。確率が低くとも、当たる時には当たります。 そして起こってしまえば、取り返しのつかない事態に陥ってしまう。冷徹な現実を前にして得た教訓です。 でんこちゃんマグカップを土産に貰って喜んでる場合ではなかったんでしょう。 今までは無自覚に、頼りにならない安全・安心神話にすがっていただけだったのでしょう。 便利すぎる世の中に慣れ過ぎてしまい怠惰になり、思考停止状態だったもいえます。 足元は決して盤石ではない、地震による緊急停止の電車内で30分も待たされたときに自覚しました。 42年前に亡くなった祖父は「便利は金じゃ」と鋭い言葉を残しました。 経済が凋落し金欠になると、便利さも失われてゆく、という逆説も成り立つかもしれません。 その象徴が今回の大震災なのかな、とぼんやりとした不安が常に頭に中に浮かぶようになりました。 詳細はコチラ!
by mixa_suwa
| 2011-05-09 09:34
| 神楽坂日記
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