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2013年 01月 18日
一昨年の12月に「平和ボケの鴨」というタイトルでブログをアップしました。
こちらです。http://mixaphoto.exblog.jp/17196440/ 今日は、その続きです。写真は私がスマホで撮影したカルガモです。 近所の池の鴨は相変わらず、人を恐れることもなく、立ち止まる人がいれば、餌を貰えるものだと寄ってきます。 なぜ、この鴨たちは人間を恐れないのだろう? 江戸時代から、この池は幕府から禁猟の地と定められた、と説明板に書かれています。 それから明治、大正、昭和、平成と200年の長きに渡って、彼らは捕獲を禁止された池で暮らしてきたのです。 戦後の食糧難の時代でも、本当に保護されていたのか?との疑問は残りますが。 とにかく長きに渡って保護されてきた。それがDNAに組み込まれて、今日の行動になっていると勝手に解釈しました。 結局、環境のせいなのでしょう。 自分たちが食材として、人様の餌食になることがない、ということが前提で生育しているように思えます。 この危機意識のなさを平和ボケと呼びたくなるのです。 環境に適応した結果、人は恐れるものではなく、餌をくれる存在だと認識したのでしょう。 しかし、この平和ボケは鴨に限ったことではありません。 この池の周辺で暮らす地域猫も、人を恐れることなく、餌をねだりに愛想を振りまきます。 私もたまにネコ用スナック(餌ではなくおやつ)をあげたりして、遊んでもらいます。 純粋の野良ネコに比べると、地域猫は自分で餌を確保する必要がないだけ恵まれた環境といえるでしょう。 野良ネコは追い払うものではなく、可愛がるものという人々の意識の変化が底流にあります。 同様に、恵まれた環境を最大に享受しているのは現代の日本人だ、と言えば想像が飛躍しすぎなんでしょう。 この池の餌の豊かさと平和は、鴨が闘って勝ち取ったものではありません。人間に与えられたものです。 現代の日本人の豊かさと平和も、自分たちが闘って勝ち取ったものではありません。 先人の努力と苦労の成果を、無意識にいただいているものです。 その点はこの池の鴨と変るところがありません。 生まれついての豊かさと平和だから、ありがたがることもなく意識せずに平和ボケになっているんだな、この鴨の行動を見ていると、いつも思うのです。 鴨と日本人を重ねる私は少しおかしいのかな? 「またボーガンで撃たれることがないように、野生を取り戻せ。」と届くはずのないエールは、鴨にではなく自分に向かってつぶやいていることを最近自覚しました。 世の中には善い人ばかりじゃないぞ、悪意を持って近づく人もたくさんいるんだ。 のんびりと公園を散歩すると、ふとこんな声が聞こえてきます。鴨には届かないでしょうが。 詳細はコチラから! http://de-con.mixa.jp/media/package/XAMIL
by mixa_suwa
| 2013-01-18 09:43
| 神楽坂日記
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