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2014年 05月 12日
![]() 先日、仏壇に手を合わせて、ふと見上げるとモノクロの写真2枚と額に入った賞状が目にとまりました。 祖父と戦死した伯父の遺影と叙勲の賞状です。 「親父がいないなら、この遺影と賞状をどうするかなあ」と少し考えました。 父は子供の頃にかわいがってもらった兄を大切にしたい気持ちがあったのでしょう。 それゆえ遺影と賞状を仏間に飾っていました。 しかし私にとっては、血がつながった伯父とはいえ、生まれる13年前に亡くなっているのですから会ったことはありません。 残されているものは、軍服姿の遺影1枚だけです。 私か弟が引き継ぐべきものかもしれないが、正直なところ扱いが面倒だと感じました。 父が生前、この伯父のことを語っていたので、その人となりは知っているつもりでしたが、あらためてどんな生涯を送ったのかと興味がわきました。 ファミリーヒストリーの登場人物のひとりというわけです。 金融機関の届け出のために父親の原戸籍と除籍謄本を入手すると、この伯父のことが記載されています。 大正9年(1920年)生まれ、昭和19年(1944年)テニヤン島にて戦死と旧字体で記されています。 これを目にした瞬間、父から断片的に聞いていた伯父の生涯が一挙につながったように感じました。 24歳で戦死。この事実に改めて気づくと、胸が苦しくなるような衝撃を覚えました。 24歳ねえ…。私には25歳の甥と23歳の姪がいます。大学を出て社会人になったばかりの彼らは、私にはほんの子供としか映りません。 甥や姪と同じような年齢で生涯を閉じたのか、と思うと言葉に表せない感情が湧いてきます。 自分の24歳の頃も振り返ってみました。 甥や姪と同じようなものでした。社会人になりたてで、右も左も分からない大阪で丁稚奉公が始まったばかりの歳です。 悪戦苦闘しながらも、前途洋々たる未来が広がっていると希望に胸ふくらませている頃でした。 これから人生の花が咲くかという時期に、故郷から遠く離れた南洋諸島で銃撃に倒れた伯父。 時代のせいとは思うものの、私や甥、姪とはあまりに大きな違いです。 伯父の戦死の報を聞いて、気丈な祖父も号泣していたと聞きました。 帰ってきたのは遺骨ではなく、「英霊」と書かれた1枚の紙きれだったと父が語っていたのを思い出しました。 戦死しなかったら、どんな生涯を送っていたのだろうなと想像してみました。 年上の従兄弟がいたんだろうな、従兄弟は遊んでくれたかな、気前のいい伯父だったそうだったからお年玉をたくさんくれたかな…。 歴史にたらればが無いことは百も承知、こんなことを考えることは単なるセンチメンタルだと思いながら、想像が止まりません。 どんな思いを残して死んでいったのだろう、と考えたら涙が止まらなくなってしまいました。 70年も昔のことを考えても、詮無いことと分かっているのですが、これも人情ってものでしょう。 父が亡くなり、生前の伯父を知る人は誰もいなくなりました。 せめて私が父から聞いた話しを覚えておいてやろうと思います。
by mixa_suwa
| 2014-05-12 09:30
| 神楽坂日記
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